
「頑張ることに疲れました」と笑う宇治さん
心理カウンセリング京都です。
京都府は宇治市に住む宇治さん(仮)女性39歳のお話です。
宇治さんはお父さんが教育熱心だったということで、教育パパに全てを決められてきたそうです。
始まりは小学校3年生の時に2つの習い事を行かされたそうで、その内容は宇治さんの好き嫌いや興味の有無は聞かれず、お父さんが行けと言うから行ってたということでした。
中学校に入ると部活を決められ、塾を決められ、進もうとする高校を決められ。
高校に入ると部活を決められ、アルバイトを決められ、友達を切らされ、進もうとする大学を決められ。
大学に入ると就職の方向性を決められ、選んだ彼氏に文句を言われ。
それでも宇治さんは嫌ではなかったそうです。
頑張るべき目安、目標を明確にしてもらっていたことで進みやすかったと思えていたそうです。
お父さんも、ただスパルタなのではなく「頑張れ」と応援してくれて、「頑張ったな」と褒めてくれていたそうです。
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大学2年生のハタチの時、お父さんが勤め先の社長さんからパワハラに遭い、弱ってしまい、結果的にクビにされてしまったそうです。
意気消沈して元気がなくなってしまったお父さんは、宇治さんのサポートフォローどころではなくなってしまったそうです。
それに成人したこともあり、お父さんが突然に宇治さんの進路や方向性に何も言わなくなったそうです。
それは宇治さんにとって矢印やゴールが無くなった感覚で、ハタチで初めて何かを自分で決めなければならないようになった感じがして困惑が始まったそうです。
お父さんもお母さんも、それまでと違って何も言わなくなった。
聞いても答えてくれなくなった。
右か左か、青か緑か、これでいいのか悪いのか。
急に頼れる存在がなくなった宇治さんは怖くなったそうです。
もちろん愛情からとはわかっていますが、お父さんが何でもかんでも決めすぎ、与えすぎということもあって宇治さんは何もできない子として育ってしまった部分が大きかったようで
何を考えて、何かを仮に決めても自信がなくて迷う。
自分なりにいったん決めて進んでも、どう選んでも後悔してしまう。
何かを考えるのが怖くなった。何かを決めるのが怖くなった。
端的に言うと、
大学を卒業して就職した会社で頑張り方がわからず1年半ほどした24歳の頃に心療内科にて『社会不安障害』と診断されたそうです。
それから15年間ずっと心療内科に通っていて、お薬を飲み続けているものの、何も改善しないそうです。
「それ、飲んでる意味・・・」と思いましたが、言葉にはせず違う言い方を考えて
「飲むのをやめたらヒドくなりそうな気がする?」と聞くと
「はい・・・」という返事でした。
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年齢も内容も関係なく、お父さんの「頑張れ」「頑張ったな」だけでその時その時を頑張ってきて、
今は手放しで「お前が好きなように頑張れ」と言われる。
社会人になってから何かを成し遂げたことはないから「頑張ったな」と褒められたことはない。
今、何かを頑張っているかどうか聞かれたら
「頑張って一応は生きてます」と
宇治さんは笑いながら答えました。
いやいや・・・。うーん。まぁそっか。間違ってはないか。
頑張るって言葉、もう気にしなくていいんじゃない?
頑張ってもいい。頑張らなくてもいい。
煽る言葉じゃないし、責める言葉でもない。
捉われる言葉でもないし、辛く思う言葉でもない。
これからは、ただの言葉として意味を持たせなくてもいいんじゃない?
指針や段階、行き先や必要性、そういうのを考えなくてもいいんじゃない?
そういう感じで、
これといった何かがある訳じゃないのに、なのに追い詰められているような、問題を出されていないのにずっと考え込んでいるような
そういう感じから解放されるべくカウンセリングをしていますが
宇治さんとしては私と話すと安心すると言って泣きます。
「いや、えぇけど、お父さんみたいな設定したらアカンよ?」と注意しています。
頑張らせることはしませんし、私はいつでも味方なんですが、私がいないとダメになるような形もよくありませんから。
39歳。今から自立していこうねという感じです。
恥ずかしくない。
楽しみにしていい。
今度はお父さんを支えられるようになっていこう。
お父さんの愛情を、ちゃんとした形で受け取ればいいだけ。
思い直すことで今から大丈夫になれるから。
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心理カウンセリング京都でした。